中村三登志
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中村 三登志(なかむら みつとし、1926年 - )は、労働運動家。
1974年全日本労働総同盟(同盟)広報部長、機関誌の編集を担当。『中国労働運動の歴史』(亜紀書房、1978年)の著者紹介によると、国際労働運動、社会主義運動、アジアとくに中国などの扱いをめぐり、1978年1月に同盟を解雇された。同書のあとがきによると、毛沢東が死去した後、機関誌『同盟』に毛沢東の評伝を書き、減俸処分を受けた。別の筆禍事件により、1978年初めに同盟を辞めさせられた。板野一樹「塩路一郎=労働界の新仕掛人を斬る」(『現代』第12巻第4号、1978年4月)によると、『日刊同盟』編集長を務めていたが、民社党代議士・渡辺朗のインタビュー記事「社会主義インターを理解するために」(『同盟』第233号、1977年12月)の中で民社党の綱領を"民主的な社会主義"と書いた後、塩路一郎自動車労連会長が前川一男同盟書記長に「民社党の綱領は民主的な社会主義ではなく民主社会主義」だと激怒し、1977年12月に『日刊同盟』編集長の座を追われた。
著書[編集]
単著[編集]
- 『中国労働運動の歴史』(亜紀書房、1978年)
編著[編集]
訳書[編集]
- G.A.ジョンストン『国際労働機関――社会進歩のためのILO活動』(日刊労働通信社、1973年)
- 唐純良『李立三――中国共産党史外伝』(論創社、1986年)