最澄

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最澄(さいちょう)は、平安時代の僧である。

生涯[編集]

766年頃、近江国(現在の滋賀県大津市)生まれ。13歳の時に僧となる道を選ぶ。785年(延暦4年)に、修行の地を求めて比叡山に籠る。比叡山にて、中国の経典を読む中で、中国の天台宗が最善の教えであると確信、天台宗を広める。天台宗により名声を高め、桓武天皇にも期待される存在となる[1]

その後、に渡って天台宗を学ぶこととなり、804年、留学僧として遣唐使に加わり、渡航。天台宗の本場である天台山国清寺に入り、本場の天台宗を学ぶ。翌805年に、急遽遣唐使が帰国することとなり、帰国。翌806年、天台宗が正式に国に公認を受けた宗派となった。

822年に入滅。その後数十年経ってから、「伝教大師」の諡号が贈られた。

近い世代の人物[編集]

関連項目[編集]

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