曹霖
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曹 霖(そう りん、? - 250年)は、中国の三国時代の魏の皇族。祖父は曹操。父は文帝[1]。生母は仇昭儀[1]。異母兄に明帝。子は曹啓・曹髦。
生涯[編集]
文帝の子で、222年に父より河東王に封じられ、225年に館陶県王に改封される[1]。226年に父が崩御して兄の明帝が即位すると、文帝の遺志として他の諸王より特別な待遇を与えられた[1]。しかし曹霖は粗暴な性格で、後宮や婢妾を多く殺害したり傷つけたりした[1]。232年に東海王に改封される[1]。250年に死去し、跡を子の曹啓が継いで最終的に領邑は6200戸となった[1]。
子の曹髦は曹霖の死から4年後に魏の第4代皇帝として即位する事になる。『三国志演義』では曹髦の父親として名前のみ登場する。