是儀
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是 儀(し ぎ、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代の呉にかけての政治家。字は子羽(しう)[1]。
生涯[編集]
青州北海郡営陵県(現在の山東省昌楽県)の出身[1]。最初は孔融に仕えたが、この際に孔融から「氏は民の上が欠けたもの」とからかわれたため是に改姓した[1]。
次に劉繇に仕えたが、孫策の侵攻で劉繇が敗れると会稽郡に移住した[1]。孫策の死後、跡を継いだ孫権から丁重に迎えられて騎都尉となり、219年の関羽討伐でも参加して功を挙げて忠義校尉となる[1]。
是儀は公正に職務に当たり、事実関係だけを追究して孫権の配下が誣告を行なっても相手にしなかった[1]。昇進しても常に質素倹約であり、81歳の天寿を全うした[1]。
『三国志演義』では登場しない。