春渓宗輝大姉(しゅんけいそうきたいし、生没年不詳)は、戦国時代の女性。北条幻庵の次男・北条綱重の正室。
公家の西園寺公朝の娘で、永禄6年(1563年)11月に綱重(氏信)と結婚して、永禄年間末期に嫡男の北条氏信を生んでいる[1]。
夫が永禄13年(1570年)の武田信玄の駿河侵攻で戦死した後も生きており、天正9年(1581年)4月17日に逆修して法名を春渓宗輝大姉としているのが確認されているが、その後の動向は不明である[1]。