明智 掃部(あけち かもん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。明智光秀の家臣。諱は不詳。
明智光秀に仕え、天正8年(1580年)12月10日、明智半左衛門らと共に津田宗及の茶会に出席している。また、光秀の出した徳政令を奉じたという書状もある。
天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長を殺害した光秀が滅亡した後も生き残っており、2か月後の8月3日に宗及の茶会に出席している。