旭凡太郎

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旭 凡太郎(あさひ ぼんたろう、1942年[1] - )は、日本の新左翼活動家。共産主義者同盟プロレタリア通信編集委員会のメンバー。

経歴・人物[編集]

東京生まれ[2]。高校時代から政治運動に関わり、1958年の警職法闘争、勤評反対闘争に参加[1]。1960年、大阪市立大学に入学、安保闘争に参加[2]。在学中、ブントに関わり、初代自治会委員長を務めた[1]。後輩の田宮高麿(後に赤軍派を結成、よど号グループメンバー)、森恒夫(後に連合赤軍最高幹部)を組織に勧誘している[1]。1960年代後半からブント系の党派で活動を続ける[1]

1968年、ブントを代表する理論家として塩見孝也仏徳二・旭の3人は「八・三国際反帝反戦集会への我々の主張」(通称「八・三論文」、『戦旗』141・142合併号、1968年8月)を分担で執筆した。1968年4月のブント第7回大会でマル戦派が分裂し、マル戦派が採用した岩田理論に対してブントは「過渡期世界論」を確立した。「八・三論文」はこの「過渡期世界論」を体系的に展開した論文である。その後、塩見は赤軍派、仏は蜂起派、旭は神奈川左派へと分裂していった[3]

現在は共産主義者同盟プロレタリア通信編集委員会のメンバー[4]。2000年に共産同首都圏委員会畑中文治らと共産主義運動年誌編集委員会を結成し、雑誌『共産主義運動年誌』の発行に携わっている[5]。2009年3月に共産同蜂起派・共産同首都圏委員会・共産同プロレタリア通信編集委員会・その他の諸個人が合同して共産主義者協議会を結成した[4]。旭は同協議会が発行する「プロレタリア(無産者)のための共同政治新聞 赤いプロレタリア」に執筆している[1]

著書[編集]

  • 『資本主義世界の現在――マルクス主義“復活"宣言』 彩流社、1998年、ISBN 978-4882024736

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 小林哲夫『シニア左翼とは何か』朝日新聞出版(朝日新書)、2016年、179頁
  2. 2.0 2.1 資本主義世界の現在 マルクス主義“復活”宣言 honto
  3. 高沢皓司、高木正幸、蔵田計成『新左翼二十年史――叛乱の軌跡』新泉社、1981年、104頁
  4. 4.0 4.1 【模索舎store】 赤いプロレタリア[The Red Proletarian] 第一号 プロレタリア(無産者)の共同政治新聞 模索舎(2009年3月19日)
  5. 〔献本紹介〕 『共産主義運動年誌』第7号 労働者共産党

外部リンク[編集]