旧三商大
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旧三商大(きゅうさんしょうだい)は、一橋大学、神戸大学、大阪公立大学[注 1]の国内3大学を表す用語。
概要[編集]
3大学は共に、大学令による官立または公立の商科大学(商業大学)の時期を持つ国公立大学である[注 2]。
旧三商大(三大商科大学)間では、スポーツの対抗戦といった横のつながりがあり、旧三商大OB定期戦(テニス)などがある[1][2]。
一橋大学[編集]
- 当初は森有礼の私塾として1875年に設立された[3]。翌年1876年に東京府立となる。
- 東京市に設立された最初の旧制官立商業大学だったが、関東大震災で被災し、谷保村(現・国立市)に移転した。
- 戦後に国立の単科大学となった。
- 商法講習所(1875年)⇒東京商業学校(1884年)⇒高等商業学校(1887年)⇒東京高等商業学校(1902年)⇒東京商科大学(1920年)⇒東京産業大学(1944年)⇒東京商科大学⇒一橋大学(1949年)
神戸大学[編集]
- 東京高等商業(後に東京商大)に続く官立高等商業学校として創立。
- 東京商科大学に続く2番目の官立商科大学(商業大学)となった[4]。
- 戦時中に官立経済大学となり、経済学科、経営学科の2学科構成となり、研究組織として法学があった。
- 官立神戸高商は大学に昇格したが、存続運動もあり、県立で新たに神戸高商が新設され、戦後に公立の神戸商科大学となった[注 3]。
- 学制改革に当たっては、京都工繊大や大阪外語大と異なり、神戸経済大学単独での新制大学移行はGHQが拒否したためならず、「1県1国立大」原則に従い、官立旧制専門学校・旧制高校を包摂して神戸大学になった[注 4]。この時、旧神戸経大の法学組織は法学部となった。
- 神戸高等商業学校(1902年)⇒神戸商業大学(1929年)⇒神戸経済大学⇒神戸大学(1949年)
大阪市立大学[編集]
- 市立学校では日本で初の大学令による単科大学設置が認められた学校[注 5]である[5]。
- 学制改革に当たって、大阪市立の旧制専門学校を包摂して、総合大学の大阪市立大学となった。
- 新制大学に大阪商業大学があるが関連はない。
- 私立大阪商業講習所(1880年)⇒府立大阪商業講習所(1885年)⇒府立大阪商業学校(1885年)⇒市立大阪商業学校(1889年)⇒市立大阪高等商業学校(1901年)⇒大阪市立高等商業学校(1919年)⇒大阪商科大学(1928年)⇒大阪市立大学(1949年)⇒大阪公立大学(2022年)
その他[編集]
- 旧制三商大には予科があった。
- 旧制東京商大には、附属の商学専門部が存在した。
- 旧制大阪商大には、附属の高等商業部が存在した。
- 山口経専、小樽経専といった官立経済専門学校も終戦直後に三商大に続く大学昇格を試みたが頓挫した。なお、小樽経専は、北大への併合を拒否し、一橋大になった東京経済大学に続く、国立社会科学系単科大学の小樽商科大学となった。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- 注
- ↑ 大阪都構想の関連で2022年に大阪市立大学と大阪府立大学の2つが合体して発足。
- ↑ 入試の難易度とは関連がない。
- ↑ 神戸商科大学は2004年(平成16年)に姫路工大、兵庫県立看護大と統合して兵庫県立大学となった。
- ↑ この時、旧制姫路高等学校も、「国立姫路大学」としての独立を狙ったようだが、もしも、学制改革時に、旧制姫高の思い通り、旧制姫高を核に旧制兵庫師範、兵庫青年師範、神戸工専を包含して、文理、教育、工3学部の「国立姫路大学(国立兵庫大学)」として開学し、1960年代に国立姫路大(国立兵庫大)が県立神戸医大と県立兵庫農大を吸収されれば、「国立姫路大(国立兵庫大)」は、京都教育大学や京都工芸繊維大学と張り合うくらいの難易度の駅弁大学となり、関西の国立大志望者が競争で苦労しないで済んだと感じる。
- ↑ 公立単科大学は大阪医科大学(阪大医学部の前身)が国内最初である。
- 出典
- ↑ 旧三商大テニス部OB戦報告
- ↑ 第66回旧三商大柔道大会神戸大学柔道部
- ↑ 沿革一橋大学
- ↑ 沿革神戸大学
- ↑ 歴史大阪市立大学