折田和泉
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折田 和泉(おりた いずみ、? - 元和5年(1619年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。島津氏の家臣[1]。
略歴[編集]
父は島津義弘に仕えて朝鮮出兵に参加して戦死したため、母の手で育てられた。義弘がある日、折田の家の門前を通った際、和泉は母の言いつけで門口を掃除していたので、それに感心した義弘から自らの小姓に取り立てられた。和泉は母の女手で育てられたことから家は貧乏で、持参していた弁当が粥であったことから同僚から嘲笑されたが、我慢して辛抱し続けたため、逆に義弘は和泉のその態度を褒めたという。このように義弘から恩顧を受けたため、元和5年(1619年)に義弘が死去した際、後を追って殉死したという[1]。