戸倉城の戦い

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戸倉城の戦い(とくらじょうのたたかい)とは、天正9年(1581年)9月から12月にかけて行なわれた北条氏政軍と武田勝頼軍の合戦である。戦場は現在の静岡県三島市徳倉[1]

経歴[編集]

天正9年(1581年)9月、武田勝頼は常陸佐竹義重安房里見義頼らと同盟を結んで北条氏政を攻めるために伊豆へ出陣した[1]。10月、駿河駿東郡戸倉城を守る北条方の笠原政晴を攻めたが、笠原はよく守り武田軍は城を落とせなかった[1]。このため勝頼は戸倉近隣の住民が妻子を連れて戸倉城へ逃げ込んだのを追い、放火を行なった[1]。11月、笠原が北条家を離反して勝頼に寝返った[1]。このため勝頼は自身が1万6000の本隊を率いて、また沼津城代の曽根河内守に援軍を命じて北条氏政の3万の軍と三島で対峙するが、勝敗はつかなかった[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P246

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3