戯志才
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戯 志才(ぎ しさい、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。曹操の家臣で参謀。
生涯[編集]
豫州潁川郡(現在の河南省許昌)の出身[1]。196年に曹操が献帝を推戴した頃、荀彧が策謀の士として曹操に推挙し、曹操は戯志才を気に入っていつも策略を語り合うなど重用していたが、早世したという[1]。曹操は荀彧に「戯志才がいなくなってから計略を相談する相手がいない。汝南郡や潁川郡は優れた人物の多いところだが、誰か彼を継ぐ人物はいないか」と手紙を送り、荀彧は郭嘉を新たに曹操に推挙したという[1]。
ただ、戯志才は早世しているためか具体的な事跡などは不明である。没年は郭嘉の活動時期などから197年頃ではないかと推測される。
『三国志演義』には登場しない。