慈徳院 (織田信長側室)
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慈徳院(じとくいん、生没年不詳)は、安土桃山時代の女性。織田信長の側室。織田信忠の乳母。三の丸殿の生母。名は不詳[1]。
略歴[編集]
信長の重臣で織田四天王の1人である滝川一益の親族と伝わる。はじめ、信長の嫡子・信忠の乳母を務めるが、信長に寵愛を受けて側室に上げられ、娘を産んだ。これが豊臣秀吉の側室となった三の丸殿である。なお、乳母が側室に格上げされることは特に珍しいことではなく、信長の父の織田信秀も養徳院を側室に格上げしている例がある[1]。
天正10年(1582年)6月、本能寺の変で信長・信忠が共に横死。その後は信忠を弔うために妙心寺内に大雲院を建立して、兄の九天宗瑞を開山に迎えたという。ただ、大雲院に関しては一益が建立したとの説もある[1]。
彼女のその後の経歴は不明であり、法名は慈徳院と伝わっている[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 「女性人物辞典」 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年、169頁。 。