忍性(にんせい、? ‐ 天正16年(1588年?))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての僧。長宗我部氏の家臣[1]。
忍蔵主ともいわれる。土佐国長岡郡五台山吸江庵の禅僧といわれ、明敏で儒学を南村梅軒から学んで経書に精通し、如渕と深く交わり、その縁から長宗我部元親に招聘されて岡豊城で講義をして、土佐の文学に大きな影響を与えたという[1]。
しかし長宗我部信親が戦死して長宗我部家で後継者問題が発生し、如渕やその弟の吉良親実が元親により粛清された際、忍性にも連座が適用されて失意のうちに死去したとも殺されたともいう[1]。