徳川貞次郎
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徳川 貞次郎(とくがわ さだじろう、宝暦12年12月19日(1763年2月1日) - 宝暦13年3月16日(1763年4月28日))は、江戸時代中期の徳川将軍家の男性。江戸幕府の第10代征夷大将軍・徳川家治の次男。母は側室・養蓮院(藤井兼矩の娘)。徳川家基の異母弟。
生涯[編集]
第10代将軍・徳川家治の次男。母のお品の方(養蓮院)は田沼意次の支持を受けて家治の側室になった人物である。しかも貞次郎は家治の長男である竹千代と同年の生まれ(家基のほうが2か月ほど早い)であったため、家基の生母である蓮光院(津田信成の娘)と家治の寵愛、並びに後継者をめぐって争ったという。
家治自身はそんな争いを知らず、男子誕生に喜んで奥右筆組頭の白井藤右衛門や目付の松平忠香に誕生の諸行事を管掌させ、七夜祝いの時に貞次郎と命名して御台所・五十宮(心観院)に養育を任せた。
しかし宝暦3年(1763年)3月16日、生後3か月ほどで夭折した。上野の淩雲院に葬られた。