徳川慶寿

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが徳川慶寿の項目をおカタく解説しています。

徳川 慶寿(とくがわ よしひさ、文政6年3月4日1823年4月14日) - 弘化4年5月7日1847年6月19日))は、江戸時代後期の御三卿一橋徳川家の第7代当主。

生涯[編集]

父は田安徳川家の第3代当主・徳川斉匡で5男。母は側室の八木氏。一橋徳川家の第5代当主・徳川斉位の実弟に当たる。正室伏見宮貞敬親王の娘・東明宮直子(徳信院)。

天保9年(1838年)に第6代当主の徳川慶昌が死去したため、その養子になって家督を継承した。実弟に松平慶永徳川慶頼らがいる。

弘化4年(1847年)5月7日に死去。25歳没。子女は無く、従兄・徳川斉荘の長男・昌丸養子に迎えられて跡を継いだ。


先代:
徳川慶昌
一橋徳川家当主
7代:1838年 - 1847年
次代:
徳川昌丸