徳川昌丸
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徳川 昌丸(とくがわ まさまる、弘化3年1月8日(1846年2月3日) - 弘化4年8月20日(1847年9月29日))は、江戸時代後期の御三卿・一橋徳川家の8代当主。
生涯[編集]
弘化2年7月6日(1845年8月8日)に父・徳川斉荘(尾張藩第12代藩主)が死去した後、弘化3年1月8日(1846年2月3日)に生まれた次男である。そのため、尾張藩主の座は従兄の徳川慶臧が既に相続していたので、弘化4年5月7日(1847年6月19日)に一橋徳川家の第7代当主・徳川慶寿が死去した後を受けて、養子に入って一橋徳川家を相続した。
ところが当主になってわずか3か月後に死去した。享年2(満1歳と7か月)。
当然子女は無いので、水戸藩主の徳川斉昭の7男・慶喜が後継者に迎えられた。なお、昌丸の死去により、初代の宗尹以来の血統は、一橋徳川家においては断絶となった。
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