御成
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御成(おなり)とは、時の権力者が家臣の武家、あるいは公家の邸宅や寺社を訪問して、饗応を受けることを言う。室町幕府や江戸幕府の征夷大将軍、豊臣政権の豊臣秀吉などに御成の記録が確認されている。
概要[編集]
室町幕府の征夷大将軍は、恒例で重臣の屋敷に御成になることが決められていた。室町幕府が全盛期を迎えた第3代将軍・足利義満の時代には毎年正月2日に管領の屋敷に御成になることが決められていた。義満の死後も、幕府の重臣である赤松氏、畠山氏、斯波氏、山名氏などに日を選んで1月中に御成になることが慣例となっていた。ちなみに、嘉吉の乱で赤松満祐に殺された足利義教は、赤松屋敷に御成になっていて惨事にあうことになった。
御成が行われた理由としては、それにより将軍と家臣の関係の維持や強化に努めること、そして御成を受けた大名は将軍など権力者から信任されている証となり、自家のステータスを内外に示す機会となった。室町時代の御成を詳細にまとめた記録として『諸大名衆御成被申入記』があり、これには将軍を迎える際の心構えや饗応のやり方、さらに献上品の贈答に関することが詳しく書かれている。
ただ、デメリットもあった。権力者を饗応するのだから贈答品はそれなりのものでないと話にならない。そのため、御成の贈答品はかなりの高価な物やあるいは金銭などが用意され、大名や寺社の懐を苦しめる一因にもなったという。