張裕
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張 裕(ちょう ゆう、? - 221年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての蜀の学者・政治家である。字は南和(なんわ[1]、なんか[2])。
生涯[編集]
益州蜀郡の出身[2]。最初は劉璋に仕える。天空の自然現象による予言に優れており、劉璋の従事だった時に劉備と会見したが、この席上で張裕の髭が豊かだったので劉備はからかおうとした[2]。それに対して張裕は髭の無い劉備に対して反論したので、劉備は張裕を恨むようになった[2]。劉備の入蜀後は劉備の家臣となるが、漢中郡への侵攻に対して敗北を予言した[2]。しかし予言は外れて漢中郡は劉備により平定されたので、張裕は罪に問われて劉備の命令で投獄される[2]。諸葛亮は劉備に上表して減刑することで死罪を避けることを嘆願したが、劉備は許さず張裕を処刑した[2]。