張岐
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張 岐(ちょう き、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。
生涯[編集]
甘陵郡の出身[1]。後漢に仕えて楽浪郡太守になった[1]。反董卓連合の盟主の袁紹や冀州牧の韓馥らは朝廷が董卓により専横されて天下が心のよりどころを無くし、劉虞は皇族の中でも名声も人望もあるので皇帝に立てる計画を立てて張岐を使者を劉虞の下に送ったが、劉虞に帝位に就くように求めたものの劉虞は厳しい口調で張岐を叱りつけ「そなた、よくもそんなことを。忠孝の道もすたれたものだ。私は国恩を受けていながら天下大乱の今、命をかけて国辱をすすぐこともできずにいるが、各地の忠義の士と力を合わせて西へ向かい、幼帝(献帝)を救出したいと思っている。それなのに謀反をそそのかしたりして、忠臣の顔に泥を塗ろうというのか」と述べたという(司馬彪の『九州春秋』)。