平田町 (岐阜県)
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平田町(ひらたちょう)は、かつて岐阜県海津郡に存在した町である。平成17年(2005年)3月28日に南濃町・海津町と合併して海津市となることで消滅した。
概要[編集]
岐阜県の南西部に位置した町である。昭和30年(1955年)に今尾町と海西村が合併することで誕生した町。町の中心地である今尾は昔から揖斐川の船着き場として発展し、「千代保稲荷」と「左義長」で知られる。
当地には江戸時代中期、江戸幕府の命令で薩摩藩が手伝い普請である宝暦治水工事を行なった場所でもあり、この地にその厳しい治水工事で犠牲になった薩摩藩士の墓所がある。平田町という名称は、治水工事を指揮した薩摩藩家老の平田靱負に因んでいる。