干し芋
干し芋(ほしいも)とは、蒸かしたサツマイモを乾燥させた加工食品である。ねっとりした食感と豊かな甘みが特徴であり、柔らかくそのまま食べることもできる。
概要[編集]
製造の過程で加熱してあるため、柔らかいものはそのまま食べることもできる。そのため、おやつとしても親しまれている食品である。このような柔らかい干し芋は包装技術や輸送技術の発展により主流となっていったものであり、かつては保存食として作られていたものであった。保存食として作られていた干し芋は保存性を重視して固く乾燥させて作られており、長期保存が可能な携行食としても利用されていたものである。
干し芋に使用されているサツマイモは玉豊という品種であり、40年以上も干し芋用として生産され続けている品種である。近年は紅はるかなどの新品種も採用しており、見た目や食感、風味が異なることで知られている。また、泉という干し芋用の品種もあるが、収量がほかの品種に比べて少なく、皮が薄く加工が難しいことからあまり栽培されていない。しかし、ほかの品種にはないコクと強い芋の風味があるとされており非常に美味とされている。
干し芋はもともと江戸時代の静岡県で誕生したといわれており、白羽村(現:御前崎市)で生のサツマイモを切ってから干した「白切り干し」と呼ばれる製法で干し芋が誕生。これをさらに発展させ、サツマイモを煮てから切り出し、天日干しして作る「煮切り干し」と呼ばれる干し芋の製法が確立される。この煮切り干しが明治に入ってからさらに改良されたものが現在の製法である「蒸切り干し」法である。煮るよりも蒸かすほうが一度に大量のサツマイモを処理できたため、この製法の確立により今日の干し芋の大量生産が可能となった物である。
現在、国内の干し芋製造はその8割以上を茨城県が占めているという。これは茨城県(特にひたちなか市)の土壌がサツマイモの生育に適しており、また冬の乾燥した気候が干し芋の乾燥に非常に適してたことも追い風になった物である。また、干し芋の製造にあたっては静岡から製法が伝わったことが知られている。
なお、静岡にサツマイモの製法が伝わった理由として、薩摩藩からの船が難破し、御前崎で救助されたといわれており[1]、茨城に干し芋が伝わったのも茨城からの船が静岡沖で難破し、救助された際に干し芋を認知したからと言われている[2]。奇妙なことに、どちらも船の難破が伝来のきっかけとなっているものである。
製法[編集]
収穫したサツマイモはすぐには加工せず、倉庫で数か月熟成させる必要がある。これは熟成させることで甘みや風味が増すためだといわれている。熟成が終わったサツマイモはじっくりと蒸され、芯までしっかりと熱が通される。この蒸かしたてでアツアツの芋から皮をむき、乾燥に適した形に裁断される。裁断された芋は簾などに並べられ、一週間から一か月程度乾燥することで干し芋として販売されることになる。
食べ方[編集]
柔らかいものはそのまま食べても非常においしい。また、ストーブやオーブントースターなどで軽く炙って食べても香ばしい風味でよりおいしくいただける。固い干し芋もサッと水で濡らし、電子レンジやオーブントースターなどで加熱すると柔らかく食べることができる。表面が軽く焼き目が付く程度だとなお美味しい。バターで炒めるという方法もある。
ネットスラング[編集]
Amazonにおける「ほしいものリスト」を「干し芋のリスト」と表記することも多くみられるものである。これから派生し、単に「干し芋」と表記するようなネットスラング的な使用もされている。