師簒
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師 簒(し さん、? - 264年[1])は、中国の三国時代の魏の武将[1]。
生涯[編集]
司馬昭に仕えて主簿となり、後に鄧艾の司馬に任命される[1]。263年の鄧艾による蜀攻めでは鄧艾に従って蜀に攻め入るが、鄧忠と共に諸葛瞻と綿竹で戦って敗れたため、鄧艾に斬られそうになり鄧艾を恨んだという[1]。蜀滅亡後に鄧艾によって益州刺史に任命されるが、鍾会が蜀で反乱を起こして鄧艾に無実の罪を着せた際には胡烈と共に鍾会に加担する[1]。後に鄧艾・鄧忠父子が殺害される際に巻き込まれて殺された[1]。
『世語』によると短気で恩情に乏しかったため部下から恨まれており、めった刺しにされて殺されたという。
『三国志演義』では帳前校尉として鄧艾の側近として登場するが、史実のような哀れな最期は描かれていない[1]。