森田一義

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ジャズ・ミュージシャン。早稲田大学ジャズ研出身。トランペッター。
トランペッターとしては、ミルト・ジャクソンともテレビ番組で共演したことがあり[1]、ミュージシャンとしては『題名のない音楽会』にゲスト出演し黛敏郎と共演した。
ホテルマン時代に「山下洋輔トリオ」によって見いだされ、上京して赤塚不二夫と同棲していたという。
(おそらくは、ジャズ評論家でありプロデューサーでもあった大橋巨泉(『巨泉・前武のゲバゲバ90分』など)宅にジャズメンとともに入り浸っていたため)イギリスの国営放送であるBBCが製作した『モンティ・パイソン・フライング・サーカス』の紹介番組に出演したのが、おそらくはメジャーデビューである。デビュー当時は(というか、ポリティカル・コレクトネスの縛りが緩かった当時においても)放映不能なネタを披露していたために、「密室の暗黒芸人」として高名だった。
タモリという通称で、マルチタレントとして活躍している。

ハナモゲラ語[編集]

ハナモゲラ語は森田一義の発案ではなく、おそらくはジャズ評論家の大橋巨泉(1969年、パイロット萬年筆株式会社(現:パイロットコーポレーション)が発売していた万年筆「エリートS」のCM。「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」)などから生まれ、ジャズメンの間に広まったらしい。
山下洋輔の述懐によれば、ホテルの部屋で飲み会をやっていたところ、そのホテルに従業員として勤務していた森田一義が踊りながら部屋に入ってきたという。それを森山威男がハナモゲラ語で咎めると、「三倍くらい流暢なハナモゲラ語で逆襲された」という。その間、山下洋輔は笑い転げていたという。その後、「面白い奴がいる」というので東京の「ジャックの豆の木」に呼んでお披露目をしたところ、赤塚不二夫の目に留まってが居候となったという。

脚注[編集]

  1. 「笑っていいとも」。その際、「(日野)皓正見てるかぁぁぁぁ|」と絶叫した。