島田秀満

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島田 秀満(しまだ ひでみつ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将織田氏の家臣。

略歴[編集]

通称は所之助、弥右衛門尉。受領名は但馬守。初名は秀順。

信長に仕え、永禄11年(1568年)7月に当時、越前国朝倉義景の庇護下にあった足利義昭美濃国に迎える使者の役目を果たした。その後の信長の上洛にも供奉している。信長には主に政治面で用いられた官僚として、京都の政務を任され、足利義昭の屋敷の普請奉行を勤めている。後に義昭が信長と対立した元亀4年(1573年)2月の時点で、織田方の和平の使者を務めている。