岸田 右近(きしだ うこん)は、江戸時代前期の武士。南部氏の家臣[1]。
岸田家は大和岸田(現在の奈良県天理市)を名字にする領主で、右近の祖父は豊臣氏の家臣・岸田忠氏である。祖父の忠氏は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れ、改易となって南部氏に預けられていた。そのため、孫の右近は南部氏に仕えた[1]。
寛文3年(1663年)に死去。嗣子が無く、岸田家は断絶した[2]。