岡崎義実
ナビゲーションに移動
検索に移動
岡崎義実(おかざき よしざね)とは、平安時代から源平内乱時代にかけての武将。
生涯[編集]
1112年、現在の三浦半島あたりで出生。父も武将の三浦義継で、その中の末っ子。義継の嫡男の三浦義明は源義朝の娘と結婚しており、古くから源氏との同盟関係が深かった為、義実は義朝の親戚にあたる。尚義継の曾孫は有名な御家人の三浦義村。本名は三浦義実と言う。通称・悪四郎。
当時の三浦氏としては、東京湾南部を治める有力武家であり、当時猛威を奮っていた。その中で義実は領地拡大と共に水田開発で功をなし、平塚の岡崎を治め始める。尚、「岡崎」という苗は義継死後に治めるときに地名に沿って改名した。
石橋山の戦いでは源頼朝に従軍する。そこで子の真田義忠を失うが、義忠を討ち取った長尾定景を後に有力武将へと引き上げる。その後も頼朝に従軍して、鎌倉幕府で有力な御家人にまで出世した。
1200年に病死する。享年88。尚武将としてはこの時代かなり長生きで、現在の年齢に換算すると100歳を超えている年齢である。