山名 義理(やまな よしただ/よしまさ、生没年不詳)は、室町時代の守護大名。美作・紀伊守護。山名時氏の次男。兄に師義、弟に氏冬、氏清、時義。子に義清、氏親、時理。官位は修理大夫、弾正少弼[1]。
永和4年/天授4年(1378年)に紀伊で橋本正督ら南朝勢力の鎮圧を命じられ、弟の氏清と共に翌年までに鎮圧した[1]。明徳2年/元中8年(1391年)に氏清が明徳の乱を起こすと義理も満幸と共に反乱に呼応するが、翌年に幕府軍の一人である大内義弘に攻められて紀伊の興国寺で一族と共に出家し、そのまま没落した[1]。