尹晶煥
選手情報 | |
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本名 | 尹晶煥 |
英字表記 | Yoon Jong-Hwan |
生年月日 | 1973年2月16日(51歳) |
出身地 | 韓国 |
身長 | 173 cm |
体重 | 69 kg |
ポジション | ミッドフィールダー |
クラブチーム | |
1995-1999 2000-2002 2003 2004-2005 2006-2007 |
富川SK セレッソ大阪 城南一和天馬 全北現代モータース サガン鳥栖 |
代表チーム | |
1994-2002 | 韓国 |
監督チーム | |
2011-2014 2015-2016 2017-2018 2019 2020- |
サガン鳥栖 蔚山現代FC セレッソ大阪 ムアントン・ユナイテッドFC ジェフユナイテッド千葉 |
尹晶煥(ユン・ジョンファン、1973年2月16日 - )は韓国のサッカー選手、監督。
人物・プレースタイル[編集]
天性のパスセンスを持ったゲームメーカー。FIFAワールドカップ-2002で韓国チームがベスト4に進出した時のメンバーでもある。
2000年にセレッソ大阪の一員として初来日。自身のプレイスタイルをJリーグでも存分に発揮し、セレッソ大阪のJ1ファーストステージでの優勝争いの原動力となった。
2001年にはJOMO CUPのメンバーにも選出され、見事MVPに輝くも所属していたセレッソ大阪が成績が振るわず、J2へ降格。この年に韓国に復帰するつもりだったが、降格の悔しさを晴らす為に残留を決意。翌年見事セレッソ大阪を1年でJ1へ復帰させる。
2002年にはフース・ヒディンク率いる日韓ワールドカップの韓国代表のメンバーに選出された。かねてからヒディンク監督が理想とするサッカーに合わないと言われており、メンバー入りが微妙であったが見事に選出。結局本大会でピッチに立つことは無かったが、韓国代表の4位という旋風を陰で支えた。
2003年に韓国へ帰国。城南一和天馬でプレーした後、2004年から2005年まで全北現代モータースに所属。
2006年、「再び日本でプレーしたい」という本人の強い希望によりJ2のサガン鳥栖に入団。見事にJリーグへの復帰を果たした。そしてこの年、サガン鳥栖は松本育夫監督、岸野靖之ヘッドコーチの下、「つなぐサッカー」でクラブ史上最高成績である4位という好成績を残す。この躍進を支えたのはまぎれもなく尹で、「つなぐサッカー」の中心としてチームを牽引した。
2007年シーズンはスタメンでの出場も少なかったものの、後半から出場し1本のパスで試合の流れを変える、といったスーパーサブの切り札として奮闘。ただし試合中熱くなるあまり、累積での出場停止やレッドカードで退場するシーンもしばしば見受けられた。7月14日の京都サンガFC戦では京都のMF中払大介がチームメイトの日高拓磨にラフプレイをした事に腹を立て、中払を突き飛ばしてしまいレッドカードで一発退場を宣告されるという事件を起こしたが、これは彼の仲間思いな一面をよく現したエピソードともいえる。年末の契約満了によりサガン側から新たに契約をしない事が発表され、そのまま引退となった。しかし引退後の2008年もサガン鳥栖テクニカルアドバイザーとしてチームに残り、鳥栖のユースチームやサッカースクールでの指導のほか、地域の子どもたちを対象にサッカーの普及活動に取り組むこととなった。
ある時はトップ下から、またある時は中盤の底からパスで攻撃を組み立てる独特のセンシティブなプレースタイルを持ち、当時の韓国の選手としては珍しく、テクニシャンの「天才パサー」として国内で名を馳せた。常に味方FWと相手DF、そしてゴールとの位置関係を把握し、一瞬にして相手守備陣の死角に狙いを定め、まさに「針の穴を通すような」スルーパスを繰り出す事ができる相手DFからすれば相当嫌な選手だった。
キャリア最晩年は年齢的な面からスタミナの低下による運動量の衰えが否めなかったが、それをパスの精度やサッカーセンス等の技術でカバーし、プレー面においてはむしろ円熟味が増していた。またサガン所属時には新居辰基のJ2日本人得点王という栄誉を支え、「尹の後継者」濱田武との師弟関係や、キャプテンの高橋義希(現ベガルタ仙台)をはじめとする有望な若手選手に良い影響を与えるなどチームへの貢献度の高さは計り知れず、チーム首脳陣から「ピッチ上の監督」として全幅の信頼を寄せられている姿はまさに”生きる教本”だった。サガンでの選手時代には韓国人の通訳がいなかったが、チームメイトとの会話では日本語を流暢に話すなどコミュニケーション等にも問題は全く無かった。
2017年ルヴァンカップでは決勝で川崎フロンターレを破り、監督としてセレッソ大阪にJリーグでの初タイトルをクラブにもたらした[1][2]。自身の監督キャリアとしても初となる優勝について「監督になってはじめての優勝なのでどういう表現をすればいいのかわからないんですが、本当に最高の気分という感じです。少し首が痛いのですが。緊張しすぎて寝違えてしまったんだと思います」と語り、また今回の決勝は川崎フロンターレが相手となったが、「川崎といえば17年前のことを思い出します」とユン監督としては感慨深いものがあったようで、「本当に優勝を目の前にして逃してしまったことが記憶に残っていますけれども、それを17年経って今日やりかえすことができたと思います」と語った[3]。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
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C大阪 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2000 | J1 | 6 | 29 | 3 | 3 | 0 |
2001 | 6 | 26 | 4 | 1 | 0 | |
2002 | J2 | 6 | 26 | 2 | - | |
通算 | 81 | 9 | 4 | 0 | ||
鳥栖 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2006 | J2 | 8 | 41 | 2 | - | |
2007 | 8 | 26 | 1 | - | ||
通算 | 67 | 3 | 0 | 0 | ||
総通算 | 148 | 12 | 4 | 0 |
代表チームの統計[編集]
韓国代表 | ||
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年 | 試合 | 得点 |
1994 | 1 | 0 |
1995 | 2 | 0 |
1996 | 0 | 0 |
1997 | 5 | 0 |
1998 | 12 | 3 |
1999 | 3 | 0 |
2000 | 7 | 0 |
2001 | 2 | 0 |
2002 | 5 | 1 |
通算 | 37 | 4 |
出典[編集]
- ↑ 2017JリーグYBCルヴァンカップ セレッソ大阪優勝における村井 満チェアマンコメント-Jリーグ
- ↑ ルヴァン杯でC大阪が初優勝
- ↑ C大阪ユン・ジョンファン監督、川崎F相手の決勝に「17年前を思い出した-LiverdoorNews