小谷野徹
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名前 | ||||||
カタカナ | コヤノ アキラ | |||||
ラテン文字 | KOYANO Akira | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年9月19日(52歳) | |||||
出身地 | 埼玉県川越市 | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | ミッドフィールダー | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
1986-1988 | 三菱養和SC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1993 1994-2001 |
教育研究社FC京都パープルサンガ(サテライト) / 教育研究社/KYOKEN /KYOKEN京都/FC京都BAMB1993 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月19日現在。 2. 2013年12月19日現在。 ■テンプレート(■ノート)■スポーツPT |
小谷野 徹(こやの あきら、1972年9月19日 - )は、埼玉県川越市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションはMF。 JFA 公認A級コーチ。
来歴[編集]
埼玉県川越市に生まれる。当時通っていた川越市立仙波小学校の少年団サッカークラブ『川越スパークス』で父親がコーチをしていた影響でサッカーを始める。
U-12は三菱養和SS清瀬、U-15は三菱養和SC巣鴨ジュニアユース、U-18は三菱養和SCユースに在籍。U-15では『第1回日本クラブユースサッカー選手権(u-15)大会』で3位、『第1回日本クラブジュニアユースサッカー大会東西対抗戦東軍選抜』(メニコンカップの前身にあたる大会)に選出された。U-18では日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会で2年次に準優勝を経験。
1993年に教育研究社FC京都パープルサンガに入団しサテライトチームに所属。このサテライトチームが若手選手の公式戦の場として京都府リーグ4部に登録。1994年に京都パープルサンガが教育研究社からメインスポンサーを離れたのをきっかけにサテライトチームが分離独立して「教育研究社FC」としてJFL昇格を目指すことになり、毎年昇格し2度目の出場となった1999年全国地域サッカーリーグ決勝大会決勝ラウンドで敗退したが、全国社会人サッカー連盟の推薦を受けて2000年に日本フットボールリーグ(JFL)昇格が決定。チーム内で京都市社会人サッカーリーグ4部からJFL昇格まで唯一経験した選手となる。
2001年に単身ニューヨークへ渡り、メジャーリーグサッカーNY/NJメトロスタースターズのトライアウトに参加。最終選考まで残るが結局入団には至らず帰国。因みに、この時のニューヨーク滞在時に居候をしていた家主が、ガーナ・プレミアリーグのアクラ・ハーツ・オブ・オークやインテル・アライズFC等の監督を歴任している八橋健一である。
帰国後は、和歌山県の紀北蹴球団に短期間入団。当時監督だった寺峰輝(V・ファーレン長崎アカデミーダイレクター)に「天皇杯全日本サッカー選手権大会出場を目標」にオファーを受け、見事本戦出場を達成。
2006年、出身チームの三菱養和サッカークラブ(トップチーム)の立ち上げに参加し選手兼コーチに就任。
引退後は、指導者へ転身。2006年にJFA公認B級コーチ、2016年にJFA公認A級コーチジェネラルを受講。
サラリーマン時代[編集]
一時、サッカー現場からは離れるがサッカーの他業種・他職種を経験する。
㈱SRP(現㈱Jリーグデジタルエンタテインメント)在籍時に、コナミウイニングイレブン等のサッカーコンピューターゲームにおけるジーコの担当としてCM立ち合いや販促物確認等の業務を行う。
J.LEAGUE BB on FLET'Sでは、J1・J2リーグ戦のダイジェスト映像の制作協力を行う。
株式会社KANZENでは、季刊誌『ジュニアサッカーを応援しよう!』の広告営業や付録DVDのアシスタント出演なども行い、また小学生約500人を無料招待したイベント『第1回~夢をつかめ!~ ピッチに集え!サッカーボーイズ 中澤佑二サッカークリニック』の運営責任者も担当する。因みに当イベントのトークショー司会進行役は、スカパー!Jリーグ中継の京都サンガF.C.ホーム戦のレポーターを長年担当していた和田りつ子である。
JリーグアカデミーJキッズキャラバンのインストラクターとして年間15回程度行われる「ユニクロサッカーキッズ」イベントやその他サッカーイベント会場に赴きスポーツやサッカーに興味を持たせるJリーグの普及活動に携わる。
所属クラブ[編集]
- 1988年 - 1990年 三菱養和SCユース
- 1991年 - 1992年 毛呂山サッカークラブ
- 1993年 - 1993年 教育研究社FC京都パープルサンガ/サテライト (現・京都サンガF.C.)
- 1994年 - 2001年 教育研究社FC/FC KYOKEN/FC KYOKEN京都/(現・アミティエSC)
- 2003年 - 2003年 紀北蹴球団(和歌山県、関西リーグ)
- 2006年 - 2009年 三菱養和SCトップチーム(東京都、東京都リーグ)※選手兼ヘッドコーチ
指導歴[編集]
- 2009年 - 2010年 杉並FCユース(東京):監督
- 2011年 - 2012年 三菱養和SC調布ジュニアユース(東京) :U-14監督
- 2011年 - 2012年 東京都第6地域トレセンコーチ
- 2013年 - 2014年 FC町田ゼルビアジュニアユース(東京) :U-14監督
- 2015年 - 2015年 FC土橋(神奈川):U-12監督
- 2015年 - 2015年 神奈川県川崎市宮前区トレセンコーチ
- 2016年 - ヴェルディ・アジュント(東京) :U-15監督
- 2016年 - 東京都第6地域トレセンコーチ
- 2018年 金富FC(東京):U-12監督
- 2017年 - 2018年 CLUB ATLETICO SHINJUKU I.P.D.(東京):U-15監督
- 2019年 尚美学園大学(埼玉):コーチ
- 2006年 - 現在 三菱養和SCトップチーム(東京):ヘッドコーチ
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | 教育研究社FC | 京都 | - | - | |||||||
1995 | - | - | |||||||||
1996 | - | - | |||||||||
1997 | 8 | 関西 | - | ||||||||
1998 | - | ||||||||||
1999 | - | - | |||||||||
2000 | KYOKEN | JFL | 13 | 2 | - | - | 13 | 2 | |||
2001 | 20 | 7 | - | 20 | 7 | ||||||
通算 | 日本 | JFL | 33 | 9 | - | ||||||
日本 | 関西 | - | |||||||||
日本 | 京都 | - | - | ||||||||
総通算 | - |
- 1994年 国民体育大会サッカー競技成年男子優勝
- 1996年 第32回全国社会人サッカー選手権大会優勝
- 1999年 関西サッカーリーグ - ベストイレブン (MF)
- JFL初出場 - 2000年4月16日 JFL前期第1節 vs大塚製薬サッカー部戦 (徳島)
- JFL初得点 - 2000年4月16日 JFL前期第1節 vs大塚製薬サッカー部戦 (徳島)