小栗風葉
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小栗 風葉(おぐり ふうよう、1875年2月3日‐1926年1月15日)は、日本の作家。愛知県の出身。
人物[編集]
愛知県知多郡半田村(現・半田市)に生まれる。幼名・磯平、のち磯夫と改める。16歳で上京、錦城中学校に入り、尾崎紅葉に入門し、紅葉の補筆で小説を発表し始めるが、たびたび郷里へ帰っている。1896年に発表した「亀甲鶴」が出世作となる。紅葉没後の1905年から『青春』を『読売新聞』に連載し、ヒット作となる。田山花袋と親しく、自然主義に追従して「中年の恋」を書こうとして「恋ざめ」を書いたが、発禁となる。「金色夜叉」を最後まで完成させた「金色夜叉終編」を書いたが、明治42年、妻子とともに愛知県に帰り、以後も小説は書いたが、52歳で死去した。
妹は梅原猛の養母。
「青春」は岩波文庫に全3冊で入っており、中村光夫の『風俗小説論』で批判されたことで知られる。
伝記[編集]
- 岡保生「評伝小栗風葉」桜楓社、1971