田山花袋

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田山花袋(たやま かたい、1871年(明治4年12月13日=旧暦)新暦では1872年1930年5月13日)は、日本の作家。

人物[編集]

群馬県(出生当時は栃木県)邑楽郡生まれ。本名・録弥。英語、和歌などを学んで文学に開眼し、松岡国男(柳田国男)、国木田独歩と知り合い研鑽を積む。紀行文、美文などで知られるようになり、博文館に勤務して『文章世界』の編集長となる。

郷里の先輩であった太田玉茗の妹りさと結婚するが、岡山県から来た女弟子の岡田美知代をモデルにした「蒲団」(明治40年)を『新小説』に発表して有名になる(同作は単行本では『花袋集』に入っており、文壇で話題になったがベストセラーとかになったわけではない)。その後、島崎藤村とともに自然主義の代表的作家となり、『生』『妻』などを新聞に連載した。

晩年には芸者を愛人にしたり、娘や息子の恋愛をめぐる恋愛の紛擾があったりしたが、歴史小説『源義朝』などを書いた。死ぬ時に島崎藤村が「死ぬ気持ちはどうだね」と聞いたら「何ともいえない暗い気持ちだ」と答えたという。

小林一郎が全十巻の伝記『田山花袋』を書いている。