寺岡衛
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寺岡 衛(てらおか まもる、1935年[1] - )は、新左翼活動家。政治グループ・MELTのメンバー。
1954年立命館大学に入学、日本共産党に入党。1956年のスターリン批判を契機として、1958年日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部準備会)に参加した[1]。その後、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)の指導部の一員となった[2]。1963年に中央専従を酒井与七に引き継ぎ、加入戦術を展開中のJRメンバーをまとめ直すために関東に派遣され、社会党武蔵野総支部オルグ、社青同武三支部書記長に就任した[3]。1968年に社会党中央本部青年対策部長の高見圭司、共労党の樋口篤三、現状分析研究会から分かれたマルクス主義研究会の久坂文夫、社青同解放派の石黒忠、東京地評の小野寺忠昭らと月刊誌『根拠地 : 反戦闘争の前進のために』(現代思想社)を創刊[4][5]。1960年代後半に再建された第四インター日本支部の政治局の一員となった[3]。1980年代に第四インター日本支部が分裂した際には、第四インターナショナル日本支部再建準備グループ(MELT)に参加した[2]。
著書[編集]
- 『戦後日本労働運動のあゆみ 激動期篇(1945-50年)』 柘植書房、1978年
- 『戦後左翼はなぜ解体したのか――変革主体再生への展望を探る』 江藤正修編、同時代社、2006年
- 『20世紀社会主義の挫折とアメリカ型資本主義の終焉――左翼再構築の視座を求めて』 江藤正修編、柘植書房新社、2010年
出典[編集]
- ↑ a b 20世紀社会主義の挫折とアメリカ型資本主義の終焉―左翼再構築の視座を求めて 紀伊國屋書店
- ↑ a b 平井純一「実態を無視した機械的二分論」かけはし、2010年6月21日
- ↑ a b 第1章 解党主義論争と"50年代世代” MELT
- ↑ 高見圭司『NO!9条改憲・人権破壊――反戦青年委員会をつくった軍国少年』明石書店、2007年、95頁
- ↑ 樋口篤三『革命家・労働運動家列伝』同時代社、2011年、樋口篤三年譜