室住 昌守(もろずみ まさもり、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。
父は甲斐武田氏の一族である室住虎光。母は大井信業の娘とされる。
虎光が永禄4年(1561年)9月の第4回川中島の戦いで戦死したため、家督を相続して武田信玄に仕えた。仮名は助五郎。
元亀元年(1570年)、原盛胤(甚四郎)との喧嘩の咎により改易され、同心衆50騎を一条信龍に預けられたという。以後の行方は不明である。