太田 宗真(おおた そうしん、生没年不詳)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。受領名は越前守。諱は不詳で宗真は法名である[1]。
最初は三善氏を称していることから、鎌倉公方の奉公衆である三善姓太田氏系の流れを汲むと推測されている。そのため、最初は江戸城主の太田氏の同心であったが、天文12年(1543年)までには後北条家の家臣となっており、この年には後北条氏の下で古河公方足利氏の取次役となっているのがわかる。また、北条氏康から江戸城の城将、並びに寄親に任命されて重用された。子に同じ受領名は称した越前守がいる[1]。