太傅(たいふ)とは、中国の官位である[1]。西周の時代に太師・太保と共に三公の一つに数えられたが[1]、格の上では太師より下位であった。太傅府には長史(左右)、司馬、従事中郎、主簿などの属官が付けられ、三国時代には全ての国で設置された[1]。職務は皇帝の補佐である[1]。魏ではこの職は非常置で、蜀では219年に劉備が漢中王に即位した際に設置され[1]、許靖が就任した。他に著名な人物として後漢末期に政権を掌握した董卓に殺害された袁隗[1]、魏の司馬懿が就任している。