天野之弥

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天野 之弥(あまの ゆきや、昭和22年(1947年5月9日 - 令和元年(2019年7月18日)は、日本外交官国際原子力機関 (IAEA) 事務局長(第5代)。IAEA事務局長として原発の安全を推進してきたことで知られている。

来歴[編集]

神奈川県出身。昭和47年(1972年)に外務省に入省して駐米公使やウィーン国際機関政府代表部大使などを歴任した。

平成21年(2009年7月にIAEA事務局長選挙においてアジアから初めて選出され、12月に就任した。

事務局長としてはイラン北朝鮮の核問題に関与してその非核化に向けた専門チームを設置するなど、IAEAによる監視や準備体制を強化し、医療インフラなど原子力を利用した発展途上国の発展支援を重視した政策を行なっている。平成23年(2011年3月東日本大震災が起こり、それによる東京電力福島第1原発事故が発生すると、世界で唯一の被爆国出身の事務局長として、原発事故における最終報告書をまとめて教訓を生かした原発の安全強化を推進した。

平成30年(2018年)から体調が悪化し、令和元年(2019年)7月17日2021年までの任期を途中で辞任する意向を示した。しかし辞任する前の7月18日に日本で急死したという。72歳没。

天野は死去する前にIAEAの標語である「平和と開発のための原子力」を達成するため、「過去10年間、具体的な成果を出してきたことを誇りに思う」と述べていたという。この標語は早期辞任の意向を理事会に伝える書面に盛り込む意向だったが、その前に天野は死去したという。

外部リンク[編集]