天正征伐記
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天正征伐記(てんしょうせいばつき)とは、小牧・長久手の戦いについての史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は久岳山安昌寺の住持・慈雷で、成立は江戸時代中期の享保3年(1718年)である。
内容[編集]
小牧・長久手の戦いについて描いた軍記物で、全1巻。
征伐とは「時の権力者が罪のある者、反逆者を討伐すること」を意味することと、小牧・長久手の戦いが舞台なので、普通は豊臣秀吉を主人公にしていると考えるのが当たり前なのだが、成立年代が徳川史観の全盛期なので全く逆に描かれている。例えば、この著書で出てくる登場人物の中で、徳川家康に対してだけは「家康公」と敬称が唯一付けられている。天正征伐に関しても、「家康公が思召すままに3万余りの敵を御征伐あり」「池田、森等を御征伐有し御戦場也」としているなど、家康が敵を征伐した形をとっている。つまり、家康を主人公とした合戦記である。
前半は合戦について、後半は戦場の地理について解説されている。また、家康にバイアスが当てられているため、合戦の引き金となった織田信雄による3人の家老(浅井長時・津川義冬・岡田重孝)の誅殺、通説で言われている信雄から家康への援軍要請などは描かれておらず、家康が自発的に織田信長の恩義により信雄を助けるという形が取られている。長久手の戦いについては、家康が池田と森を討ち取った後、秀吉が家康を討ち取ろうとして失敗し、楽田城に引き揚げたところまで描かれている。
後半の地理については、例えばある場所を「古は沼、今は田」と述べているように、現時点で地元の者を使って現地調査を実施したような描き方をしている。