大津城 (豊橋市)
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大津城(おおつじょう)は、かつて愛知県豊橋市老津町字西高縄にあった戦国時代の城。高縄にあったために別名を高縄城ともいう。平城だった[1]。
歴史[編集]
文明年間(1469年から1487年)に戸田宗光によって築城された。永禄7年(1564年)に戸田忠真が在城している(『大平寺寄進状』)。小田原征伐後、徳川家康が関東に移封されるまでは戸田忠次が在城していた[1]。
城跡は老津町の古刹長松山大平寺の西側丘陵の先端にあり、渥美線老津駅に近く、太平洋岸の赤沢町に通ずる道路の東側で、城の主郭は工事によって破壊され、外周部の堀跡と土塁の一部だけが遺構として残っている。遺構から、城は往時は東西200メートル、南北100メートルの規模に2つの曲輪で構成されていたと推測されている[1]。