大懿皇后
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大懿皇后王氏(だいいこうごうおうし、生没年不詳)は、後漢末期から三国時代にかけての呉の女性。孫権の側室[1]。
生涯[編集]
徐州琅邪郡の出身[1]。父は王廬九(『呉書』)。選ばれて後宮に入り、黄武年間(222年 - 229年)に孫権に寵愛されて孫権の3男・孫和を生む[1]。孫和が皇太子になると孫権は王夫人を皇后に取り立てようとしたが、孫権の娘・全公主(孫魯班)が王夫人を憎んで父に対して王夫人の讒言を繰り返したため皇后に取り立てられず、252年に孫権が重病に倒れると孫魯班から「嬉しそうな顔をしている」と讒言されたため、王夫人は孫権から憎悪されて憂憤の内に死去したという[1]。
後に孫の孫晧が呉の第4代皇帝として即位すると、大懿皇后の皇后位を追贈された[1]。