大久保藩

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大久保藩(おおくぼはん)とは、江戸時代中期の短期間に陸奥国に存在した。別名を岩瀬藩(いわせはん)という。藩主家は譜代大名本多氏。石高は1万石。藩庁は岩瀬陣屋。現在の福島県須賀川市(旧岩瀬郡岩瀬村)に存在した。

概要[編集]

播磨国明石藩主だった本多政利本多忠勝の曽孫)は、天和2年(1682年)に藩政不良に不行跡、さらに江戸幕府巡検使に対する不首尾など様々な罪状により、それまで6万石だった所領を1万石に減封された上で、陸奥国岩瀬郡に移封となった。これが陸奥国大久保藩の立藩である。

しかし政利は前非を悔いずにここでも藩政不良、不行跡、そして今度は女色と酒に溺れて乱行まで繰り広げ、そして全く罪の無い侍女まで斬り殺す事件まで引き起こした。以前のこともあり、遂に幕府は元禄6年(1693年)に政利を罪人として逮捕した上で庄内藩に身柄を預けた。こうして大久保藩はわずか12年をもって改易廃藩となった。

歴代藩主[編集]

本多家

1万石。譜代

  1. 政利