国淵
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国 淵(こく えん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。字は子尼(しに)[1]。子は国泰。
生涯[編集]
青州楽安国蓋県の出身[1]。鄭玄に師事して、動乱が起きると邴原や管寧らと共に遼東へ逃れた[1]。後に帰郷すると曹操の下で司空の属官となる[1]。屯田を担当し、5年間で倉庫を豊かにしたという[1]。
211年、曹操が馬超・韓遂らを攻撃すると、居府長史に任命されて留守を任された[1]。田銀や蘇伯が反乱を起こした際には残党を赦免し、討ち取った首級を水増しせず正確に曹操に報告したので曹操から喜ばれて魏郡太守に任命される[1]。後に太僕に昇進するが、謙虚と節約を信条として大臣の身にありながら衣食共に粗末なものだったという[1]。大臣の在職中に死去した[1]。