吹田村氏
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吹田 村氏(すいた むらうじ、永禄3年(1560年) - 天正7年12月16日(1580年1月2日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。荒木村重の実弟。
生涯[編集]
『信長公記』では荒木村重の弟となっている。これが事実なら村重と25歳近く歳の離れた弟ということになる。『荒木系図』では仮名は七郎で村重の叔父となっている。『信長公記』では妻が吹田因幡守の娘とあるため、親族の吹田氏の婿養子になったものと推定される。
天正6年(1578年)10月、兄の村重が信長に対して謀反を起こした際、村重に従って有岡城に籠城。村重が有岡城を脱出すると尼崎城に逃れ、荒木氏の年寄衆は家族を有岡城に残したまま村重の説得に向かい、その間の家族の警護として村重は有岡城に残った。しかし、村重も年寄衆も家族を捨てて逃げたため、信長は激怒して荒木一族と家臣の一族の処刑を命じた。天正7年(1579年)12月12日、村氏は京都に護送され、4日後の16日に六条河原で処刑された。20歳の若さだったという。