吉本 (後漢)

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吉 本(きっ ぽん、? - 218年)は、中国後漢末期の医師。子に吉邈吉穆

生涯[編集]

曹操が王になった頃は後漢の太医令の地位にあり、218年の建安23年の変では金禕耿紀韋晃、吉邈・吉穆と共にクーデターに参加し、丞相長史・王必の陣営を放火したが、厳匡により鎮圧されて敗北、戦死した[1]

三国志演義』第23回では姓名を吉 太(きっ たい)、称平(しょうへい)と設定され、吉 平(きっぺい)と呼ばれる。演義では献帝の侍医であり、正史より18年前の200年にクーデターを計画した董承のクーデターに参画し(建安5年の変)、曹操の頭痛薬に毒を盛る計画を立てる。しかし計画は発覚し、吉平は捕縛されて拷問にかけられ、その中でも曹操を罵りながら指を全部切り落とされ、宮殿の方角を礼拝して階段に頭を打ち付けて自殺している。

脚注[編集]

  1. 小出『三国志武将事典』P217

参考文献[編集]