古田 重則(ふるた しげのり、享禄2年(1529年) - 天正7年(1579年)8月)は、戦国時代の武将。羽柴氏の家臣。子に重勝、重忠、重治。
父は古田肥前守。通称は吉左衛門。
羽柴秀吉に仕えた正確な時期は不明だが、天正元年(1573年)に秀吉が織田信長より近江国長浜城を与えられた際、腰母衣衆のメンバーの中に重則の名前が確認されるため、早くから秀吉に従っていた可能性が高い。
信長の命令による秀吉の中国地方遠征にも従い、天正7年(1579年)8月に別所長治が籠城する播磨国三木城攻めにおいて砦を守るも、別所軍の攻撃を受けて戦死。享年51。
家督は嫡男の重勝が継承した。