原野人

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原 野人(はら のびと、1939年 - )は、元日本社会党政策審議会書記局員[1]

経歴・人物[編集]

長野県茅野市生まれ。長野県諏訪清陵高校を経て、東京大学工学部卒業[2]。東大工学部で反応装置を専攻[3]。1963年石油化学会社に入社。1971年退社し[2]、「公害のわかる求人」に応じて日本社会党政策審議会に入る。日本社会党科学技術政策委員会事務局長として、社会党の脱原発政策の確立[3]、1982年に結成された原対協(日本社会党原発対策全国連絡協議会)の活動に取り組む[1]。社会党の基本路線見直しの動きに反対し、原対協を担っていた自治体議員や地方活動家らに働きかけ、原対協は1987年に結成された党建協(日本社会党建設研究全国連絡協議会)の母体となった[1]細川正とともに社会主義協会運営委員も務めた[1]

1996年に新社会党の結成に参加し、総務局長[4]、理論担当中執などを務めた[3]。1998年2月に佐藤保代表が召集した社会主義協会第31回総会に参加せず、同年3月に新社会党系の社会主義協会(いわゆる「再建協会」「坂牛協会」)の結成に参加した[5]。その後、国家独占資本主義が新自由主義に移行したという見解やベーシックインカムの提起に賛同できず、2017年11月15日に協会顧問と会員を辞した[6]。『旬刊社会通信』誌上で坂牛協会がベーシックインカムを礼賛していることなどを厳しく批判している[7][8]。社会通信社の滝野忠も原と同じ理由で2017年10月に坂牛協会を脱会している[6]

著書[編集]

  • 『日本独占資本と公害』(向坂逸郎共著、河出書房新社、1972年)
  • 『エネルギーのゆくえ――原子力問題と社会主義』(大和書房、1980年)
  • 『核問題入門』(久保綾三共著、十月社、1982年)
  • 『日本型社会主義の魅力――マルクス没後百年に際して』(時潮社、1983年)
  • 『日本型社会主義と脱原発』(十月社、1990年)
  • 『確かな脱原発への道――原子力マフィアに勝つために』(時潮社、2012年)
  • 『牙を抜かれたマルクス主義――斎藤幸平とマルクス・向坂・資本論』(時潮社、2022年)

出典[編集]

  1. a b c d 細川正証言 戦後社会党・総評史 もう一つの日本社会党史――党中央本部書記局員としてマルクス・レーニン主義の党を追求 細川 正氏に聞くPDF」『大原社会問題研究所雑誌』716号、2018年6月
  2. a b 原野人『日本型社会主義の魅力』時潮社、1983年
  3. a b c 確かな脱原発への道―原子力マフィアに勝つために 紀伊國屋書店
  4. 朝日新聞社編『朝日年鑑 1997』朝日新聞社、1997年
  5. 社会主義協会第三一回再建総会宣言(附:社会主義協会再建運動に合流しよう) 労働者運動資料室
  6. a b 原野人「協会顧問を辞す願い」『旬刊社会通信』No.1277 2018年12月1日号PDF社会通信社、2018年12月1日
  7. 原野人「残念な協会の変質と混迷」『旬刊社会通信』No.1287 2019年5月1日号PDF社会通信社、2019年5月1日
  8. 原野人「社会主義協会の退廃と変質」『旬刊社会通信』No.1308 2020年3月15日号PDF社会通信社、2020年3月15日

関連文献[編集]

  • 科学研究会編著『原発なんかいらない』(十月社、1989年)