加賀井弥八郎
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加賀井 弥八郎 かがのい やはちろう | |||||||||||||||||||
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加賀井 弥八郎(かがのい やはちろう)は、安土桃山時代の武将。豊臣氏の家臣。
略歴[編集]
慶長5年(1600年)7月19日、三河国池鯉腑において父が水野忠重や堀尾吉晴と会食中に口論となり、忠重を殺害した。このため残された加賀井一族は西軍に属し、弥八郎は美濃国大垣城に籠城した。
9月15日の関ヶ原の戦い本戦で西軍が大敗した後、大垣城は徳川氏の家臣・水野勝成に包囲され、大垣城を守備していた総大将の福原直高は勝成から助命の条件として父の仇である重望の子・弥八郎を差し出すように求め、直高はこれに応じて降伏。弥八郎は勝成により斬首されたという。