加藤米次郎

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加藤 米次郎(かとう よねじろう、1855年5月5日 - 没年月日不明)は、三河国西加茂郡三好村(現在の愛知県みよし市)出身の棟梁(堂宮大工)。

経歴[編集]

安政2年(1855年)5月5日、三河国西加茂郡三好村三好上(後の西加茂郡三好町、現在の愛知県みよし市)に生まれた[1]。14歳の時に尾張国知多郡前山の名工である林貞蔵に師事して建築技術を学び、25歳の時に三好村に帰郷すると、三好神社(現在のどの神社のことか不明)の本殿などに携わっている[1]。没年月日は不明。

加藤米次郎翁之碑[編集]

1933年(昭和8年)6月には加藤の弟子10人によって、三好村の医王寺の門前に「加藤米次郎翁之碑」が建立された[1]。愛知県知事の遠藤柳作が揮毫している[1]

みよし市にある顕彰碑[編集]

  • 大澤浅次郎(教員) - みよし市立北部小学校
  • 大澤雄岱(教員) - みよし市立南部小学校
  • 加藤直三郎(村長) - みよし市立南部小学校
  • 原田久豊(村長) - 満福寺
  • 加藤米次郎(棟梁) - 医王寺
  • 柴田房吉(村長) - みよし市役所
  • 小野田又蔵(棟梁) - みよし市明知字小池下
  • 大鹿由太郎(愛知県会議員) - 百々池堤防脇
  • 熊崎惣二郎(実業家) - 三好下公民館
  • 大澤界雄(軍人) - 大覚寺
  • 大正天皇 - みよし市三好字大慈山

脚注[編集]

  1. a b c d 三好町誌編さん委員会『三好町誌 第一巻』三好町、1962年、p. 539

参考文献[編集]

  • 三好町誌編さん委員会『三好町誌 第一巻』三好町、1962年
  • 三好町誌編さん委員会『新編 三好町誌 別編』三好町、2007年
  • 三好町立歴史民俗資料館『みよしの人物 みよしを彩った人々』三好町立歴史民俗資料館、2008年