出口ふみ
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出口 ふみ(でぐち ふみ、明治31年(1898年) - ?)は、日本の女性。内閣総理大臣・陸軍大将であった田中義一の愛人[1]。
略歴[編集]
田中義一とは親子ほど年齢に差があるが、愛人として寵愛された。生家は群馬県藤岡町(現在の藤岡市)の川魚問屋兼割烹「富士川」といわれる[1]。
大正2年(1913年)に在郷軍人会の講演で訪れた田中が琴を演奏したふみを見初めて愛人とした。大正7年(1918年)に上京する。しかし、田中には妻の田中壽天がいたため、5番町の別邸に住まわせた[1]。田中と出口との間には1男4女(次男・田中義昭、次女・大志摩壽美子、3女・小澤登米子、4女・藤井於菟女、5女・倉田康子)が生まれている[2]。
昭和4年(1929年)、張作霖爆殺事件の余波から昭和天皇の不興を買った田中は内閣総辞職し、そのわずか3か月後に急死しているが、その急死した場所が出口が住んでいた別邸だったため、腹上死したとする説まで存在する。田中の死後、田中姓を称している[1]。