六華会 (囲碁団体)
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六華会(ろっかかい)は、1920年(大正9年)に若手棋士により結成された囲碁団体である。1924年(大正13年)9月、日本棋院の設立に伴って解散した。
歴史[編集]
1920年(大正9年)5月に本因坊門と方円社の若手棋士6名が集まり研究会「六華会」が結成された。参加棋士は当初、蒲原繁治、小杉丁、田岡秀子、向井一男、瀬尾浩、村田一(後に整弘)の6名であった。青少年棋士の研究と親睦を目的とした会であった。碁界にあった派閥の対抗意識と弊害、情実などの弊害を憂慮し、そこから距離を置き、純粋に棋道を研究しようとするものであった。本因坊門と方円社の人が一緒に研究するということは、それまで考えられない画期的なことであった。次第に坊社両派の少年棋士が師匠にも相談せず、破門覚悟で続々と参加し、組織が拡大された[1]。
井上一郎、篠原正美、村島義勝、高橋重三、曲篤次郎、小野寺信、増淵辰子、坂口常次郎、川田清子、岩本薫、橋本宇太郎、木谷実、前田陳爾ら多くの若手棋士が参加した。最盛期には会員20数名を数えるまでになった。そのほか、会友として小岸壮二、顧問として瀬越憲作、鈴木為次郎、井上孝平らを迎え、講評を依頼した。
1924年(大正13年)9月、日本棋院の設立に伴って解散した。解散時に、記念出版『六華新譜』を刊行した。
参考文献[編集]
- ↑ 橋本宇太郎(1981)『囲碁専業五十年』至誠堂