入江殿
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入江殿(いりえどの、? - 元亀2年(1571年)4月)とは、戦国時代の足利将軍家の一族。烏丸光宣の正室。
生涯[編集]
父は室町幕府の第12代征夷大将軍・足利義晴。母は不詳。第13代将軍・足利義輝と第15代将軍・足利義昭の姉に当たる。『言継卿記』では「大樹(義昭)之御姉」とあり、『大館常興日記』では天文9年(1540年)7月11日の時点で既に入江殿入室の話が持ち上がっていることから、義昭より1歳年上の義輝より姉であった可能性が高い。なお、実名は不詳で「入江殿」と呼ばれていた理由は、三時知恩寺に入室していたからではないかと見られている。
烏丸光宣は天文18年(1549年)生まれであるため、入江殿はそれより10歳以上も年上の姉さん女房ということになる。結婚した時期などは不詳である。
元亀2年(1571年)4月、光宣との子を産むも、産後の肥立ちが悪くなったことから死去したという。ところがその直後、理由不明ながら光宣は逐電したため、義昭は光宣の父・烏丸光康を閉門に処したという。